「龍生」より
荒木 扶佐子
捕らえられた瞬間には、微笑みながら変容をとげる水。その曖昧さゆえにこだわり続ける作者は、ビニールに閉じ込め、小石を配置することによって、気まぐれな水にひとつの貌を与えようとする。それは、美術そのものが、暗闇の中で目に見えない何者かを、手探りで形作ってゆく、いわば盲た者
のいとなみであることを、改めて教えてくれるのである。
「公明新聞」より
天童 匡史
長方形の会場を斜めに用いて、ビニールシートで作った5個の大きなビニール袋に空気と水を入れて膨らまし、さりげなく河原で拾ってきたであろう石たちと共に、水の流れに似せながら沿うがごとく置かれている。あたかも水の流れに手を入れてすくい取ってしまうと「流れ」が消えて、僅かな水の塊ともよべそうな水が手の内にある。しかし、手の内にすくい取った水も、消えたであろう「流れ」があるのではないかと、かつて指摘してくださったのは哲学の師でもあった土井虎賀寿教授であった。晩年の教授との大学の研究室での会話を、曽根の作品を見ているうちに鮮やかに思い出した。恐らく土井教授と交わした洋々な対話の中のひとつの命題が、十数年経った今もなを、わたしの内に宿っていて解決していないことを如実に物語っていた。ビニール袋を用いることに馴れている作者の意図とは別に、消えた水の流れとは別の流れがビニール袋の水の塊の内ににもあるのであろうかと会場でたたずみながら自問自答していた。
"Ryusei"
by Fusako Araki
The water transfigures with a smile when it captured.
Because the water is ambiguous, Mitsuko Sone who is particular about the water, tries to give the form to the capricious water by trapping the water in the plastic bag and placing the pebbles.
She reminds us that the art is to shape the someone which is invisible in the darkness by fumbling, that is to say the life of blind person.